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「当たり前」と向き合う勇気~自分の命と幸せが一番大事~ [育児]

次女の編み物の腕が上がっています(笑)。

理由は、毎日小学校の保健室で編み物をしているから4月から学校を休んでいましたが、夏休み明けから保健室登校をしています。当初の学校は保健室登校はダメ、職員室で妻付き添いなら登校OKというスタンスでした。それが妻のアプローチにより少しずつ学校側が変化し、今では保健室登校OK、次女が考えた時間割を尊重して支援してくれるようになりました。おかげで朝から登校できませんが、放課後まで保健室で過ごせるようになりました不登校がちだった私達にとってみれば嬉しい変化であり、小学校へ感謝すると同時にその環境にチャレンジして学校へ向かう次女はすごいなあ~と思います。

 私達が小人の時は毎日学校へ行くのが当たり前保健室はケガをした時のみに行く場所でした。行きたくない時も親に怒られながら無理やり学校に行っていました。学校を休むことは病気以外は「ダメ」なこと「悪い」ことでした。その「当たり前」が時代、生活や育児環境の変化によって「当たり前」ではなくなっています。

「私が不登校になったことがないから、自分の小人が不登校になる理由がわからない」。不登校児を抱えるお母さんやお父さんがよく言う一言です。そう、そのとおりなんです。学校にいっているのは私達ではなく、小人達。私達は学校へ通うという似たような経験をしてはいますが、それは似ているだけで今と同じではありません

 私の時代はパソコンなんてなく、土曜日も学校がありました。今は小学校でパソコンや電子黒板を使用していたり、一日の授業時間が長くなったり…この教育環境の変化は非常に大きいって思いませんか?共働きや離婚率も増えましたし、三世代同居率も低下しました。この変化は日々の生活スタイルや家族の育児力を大きく変化させました。人の悪口を小さな集団だけでなく、ネットという大きな闇に投げ入れ、直接関係ない人もいじめる側に巻き込んでいます。これだけ大きな環境変化が起こっているのに、自分の小学校時代の「当たり前」と照らし合わせて今の登校児を評価、批判することは正しいのでしょうか。大切なことは自分で「命」を守ること、自分の「幸せ」を感じること。それに勝る社会の常識はない…そう私は思っています。

毎年、この時期が小人の自殺数がもっとも多い時期です。自殺するくらいなら学校に行くという選択肢にこだわることはありません小人達にはそのことに気がついてもらいたい。そして、小人達だけでなく大人も今までの「当たり前」と向き合う勇気を持ち、小人の命と幸せを守る声かけや支援を心がけていくことが必要ではないでしょうか。不登校はどの小人にも起こる可能性があります。自分の小人が不登校になったら、自ら命を断ったら…みなさんはどうしますか?どう小人と向き合いますか?決して他人事ではありませんよ。

ちなみに次女が毎日編んでいる作品は、学校へ行けない時にお世話になっているト〇エ幼稚園のバザーに出して、その売り上げを幼稚園に寄付するそうです。将来は料理やお菓子作りが好きなので調理師になりたいと話しています。

さてさて、これからどうなるでしょうか(苦笑)。これからも次女の日々のチャレンジを見守りたいと思っています。


小人は絵本好き、劇好き? [育児]

皆さん、小人達へ絵本を読んでいますか?昔は寝る前に2~3冊は読んであげていましたが、恥ずかしながら最近はめっきり少なくなりました。絵本はどれも個性的で、魅力的。私にも何度も読みたいお気に入りの絵本があります。みなさんはありますか?

 先日、お世話になっているトモ〇幼稚園で劇がありました。劇は幼稚園に通っているお母さん、お父さん有志が自主的に企画、準備、実施をしてくれました。いや~、いつもこの幼稚園のご家族の行動力や協力体制には驚かされます近くにいた人達に声をかけあって集めたメンバー、セリフ合わせは2回のみ。まさに演技は本番勝負!!(ただ、前日まで残って小物を準備をしている姿…、御苦労さまでした)。その中に一人のお父さんが…いや~とても上手に犬役を演じていました。私にはなかなかできません、恥ずかしくて。忙しい中、楽しい時間を作ってくれた皆さんに感謝です。

そして、劇をみている小人達の表情や反応がよかった。私もたまに幼稚園で絵本を読んであげることがあるのですが、絵本読みって難しいです強弱、声のトーン、ページのめくり方、小人達への声かけ最後まで興味を持って見てくれるよう工夫が必要になります。まあ、私は保育士や幼稚園教諭のようにプロではないので下手なのは当たり前なんですが(苦笑)。その点、劇は動きがダイナミックで、次に何が起こるんだろうって最後まで興味をもって見てくれるところがいいですね。更に知っているお母さん、お父さんが演じているわけだから尚更嬉しいし、楽しいでしょう

この幼稚園には毎週金曜日の午後、お母さんとお父さんの有志の活動による絵本読み聞かせ「プー〇んぶんこ」があります。普段から絵本をたくさんの小人達の前で読んでくれています。読むのは誰でもOK!!実は、私の長女が不登校だった時、この活動に参加していました。その活動は小人達やお母さん、お父さんなど人と関わる機会になり自分に自信を持てるきっかけになりました。

大勢の前で何かをすることはなかなかできないことです失敗してもいいからその行動を受け入れてくれる、認めてくれる、そのような環境や機会を作り、いろいろなチャレンジを後押しできような関わり大切なのかもしれませんね。みなさんはどう思いますか?

劇終了後、劇に参加していたお母さんにお礼を伝えると

お母さん「今度は、是非、〇〇さんもやってみてください」

パパ「あ…気持ちだけ参加させていただきます~」

まだまだ、未熟なパパでした(苦笑)。


マル子が残してくれたもの [その他]

一緒に幼稚園で生活していた犬のマル子が悪性リンパ腫で亡くなりました。

 以前、マル子は卒園生の家族と一緒に東北で生活していました。震災後、その家族が引っ越した家ではどうしても一緒にいられなくなり、幼稚園で生活することになりました。平日、マル子は子ども達と、土日や長期間の休みは幼稚園に通っている家族の家で一緒に生活してました。我が家もうさぎと一緒に生活してますが、かわいいという感情だけでは長く一緒にはいられません。育てる、一緒に生活することは大変です。私は子育てだって一緒だと思います。

マル子が悪性リンパ腫とわかり手術が必要となった時、幼稚園の家族が開催したバザーの収益と卒業生の家族からの寄付により手術を受けることができました。手術後は幼稚園に戻り、多くの子ども達や家族から愛されて亡くなりました。

 私はマル子から2つのプレゼントをもらいました。

 一つは、この幼稚園の繋がりの強さを再確認させてもらえたこと。幼稚園に関係するみんながマル子のことを大切だと感じ、みんなでなんとかしようと自然に協力しあえる人間関係を感じることができてました。この幼稚園には他の幼稚園には決してないコミュニティと繋がりの強さがあります。それは小人が卒園してもかわりません。私はこのコミュニティに出会わなければ決して小人を好きになることはありませんでした。この幼稚園にとても感謝しているし、この幼稚園を誇りに思っています。

 もうひとつは、マル子を通じて疎遠になっていた人達と再び繋がれたこと。私は、葬儀は亡くなった方が葬儀に参列した人達との関係を再構築してくれる最後のプレゼントだと考えています。最近は家族葬や密葬という形態があります。葬儀はお金がかかるので一概に善し悪しを言えませんが…そこでの出会いが今まで忘れていた、疎遠になっていた人間関係を再びつなぐきっかけになるのではないかと思うのです。意図的な利害関係を前提としたやり取りではなく、亡くなった人のおかげで何かの縁が再び動き出す…そう考えると、死とは残された人達にとって大切な一場面なのかもしれません。私もマル子を通じてまた幼稚園のコミュニティへ戻ってくることができました。

 ちょっとしたきっかけと強い思いがあれば何かを取り戻せるチャンスはある。ただ、そのきっかけが小人が亡くなるニュースでは悲しいです悲しいニュースを他人事と思わず、何が原因なのか、自分達に同じようなことが起こっていないか、小人の発言や行動の変化はどうか…残された私たちがどう考えるかが大切ではないでしょうか。

 マル子、ありがとう。これからも空の上から小人達が健やかに成長する姿を見守ってくださいね。


「訳あり」物件が普通の社会とは… [その他]

皆さんの家は傾いていませんか?我が家は借家なんですが床のビー玉がゴ~ロゴロ(笑)

もしかして「訳あり物件」?気になって某サイトで調べてみました。すると住んでいる地域は「訳あり物件」が多く、「訳あり」の理由は自殺、焼死、殺人、もっとも多いのは亡くなっても気づかれない病死と孤独死でした。

 その原因の一つは、社会全体の人間関係の希薄化、構築の難しさが考えられます一人暮らし、特に高齢者はそのリスクが高くなります。若い時や元気なうちはいいですが、次第に持病持ちになったり、連れ合いや友人が亡くなり、地域との関わりが少なくなれば…そう考えると気づかれない病死や孤独死は他人事ではありません。確かにSNSにより日本だけでなく世界の人達とつながることが簡単になりました。ただ、自分が本当に困った時、どんな存在が助けてくれるのでしょうか…

 その存在の一つが『地域』と考えられます。「お金さえあれば大丈夫じゃね~」。確かにその通り!!お金がある限りはとりあえず生きていけるでしょう。私は死ぬまで助けてくれる医療・福祉・介護サービスが受けられるほどたくさんお金はありません(苦笑)。

 ただ、お金のない(財源が少ない)地域では医療・福祉・介護サービスは成り立ちません。医療・福祉・介護サービスで働く人達がいないと成り立ちません。自分だけがお金持ちではダメなのです。いずれはお金のない地域ではお金があっても医療・福祉・介護サービスを受けられない状況が起こるでしょう。もしかしたら小金持ちではサービスが受けられない時代がやってくると思います。ついに老人ホームの入所権利がネットオークションで高値で取引されるようになるかも(苦笑)。誰にも気付かれず死を迎える…、果たして私達はどこで誰とどう生きていくのが幸せなんでしょうか?

 先日、町内会と子ども会主催の花火大会があり、多くの子どもや家族が集まりましたが、参加者が多すぎて手持ち花火が足りず大人から苦情がでました。準備をしてくれた子ども会の子ども達はどう感じるのでしょうか?地域活動は、お金を支払って得るサービスではありません。お互いが思いやり、声をかけたり助け合える関係を地域に作ることが目的です。町内会や青年団、子ども会は大切な役割を担っているのです。関わっている皆さんのほとんどがボランティアであることを忘れないでください。その活動に関心をもちながら協力しあえる地域ができるといいですね。

10年後、病死や孤独死による「訳あり」物件が多くなりすぎて「もう、あたりまえ」物件となるかもしれません。他人に興味が持ていない、気を使えない社会・・・それは真夏の怪談話よりも恐ろしい社会なのかもしれません。何かあったらお互い気がつくような地域での人間関係を日ごろから作っておきたいですね。

 なお、ビー玉がゴロゴロするこの借家、「訳あり」物件ではありませんでした。「訳あり」物件は通常家賃がとても安いようで…ん、じゃあこの家って問題物件では!?(笑)


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